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社長コラム 2023.04.18

「大衆の庭」の背景

静岡新聞社オトナインターンシップ

大正時代に「大衆の庭」が提唱された経緯には、当時の経済、生活、国力などの事情が深く係わっている。

 図1が示すように日本国内は第一次世界大戦の影響をもって好景気に沸いていたが、大正7年に終戦を迎えると、大正9年までの間に物価が40%下落した。その結果、庶民(大衆)は職を求めて都市部に集中し、貧困に直面した。

 当時のアメリカ中間層の最低限の暮らしをするためには世帯年収2,000円が必要とされていたが、大正8年の森本厚吉氏の調査によれば1、国内の92%を占めるは大衆層の平均年収(4人世帯)は400円にも満たなかったとされる。さらに、その内の7割の家庭は、居室が1室しかなく、衛生的とは言い難い環境で暮らしをしていた。

出典:和田邦坊「成金栄華時代」(図1)

「大衆の庭」が提唱された最大の理由は、(経済的発展を前提とした)衛生面と健康面の確保・改善が第一であったのである。それ故に、維持管理コストが高い観賞を主とした庭でなく、図2のような生活に役立つ実用を主とした庭が提唱されたのだ。

図2:「改善された庭園」鳥瞰図
出典:生活改善同盟会『住宅改善調査決定事項』生活改善同盟会,1923,p137。


 エクステリアは造園業の1つであるが、こうゆう仕事をしていると「予算」が着いて回る。事業的には予算があるに越したことはない。

 でもそれだと大正時代以前の富裕層の庭の価値観と同じになってしまう。予算がないならないなりに、それこそが設計者の腕の見せ所だと思う。

<参考文献>
1森本厚吉『生活問題 生活の経済的研究』同文館,1920,pp364-380