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社長コラム 2023.11.07

庭への誘い~近代の作庭家 重森三玲~

静岡新聞社オトナインターンシップ

庭に興味を持つようになった1つのきっかけは、京都が好きであったことが発端でした。京都というよりも、織田信長などの戦国武将や坂本龍馬などの幕末の志士に関する歴史が好きでその史跡を回っているうちに庭を見るようになり、惹かれていったという感じでした。そのなかで庭に強烈にのめり込むようになったのは一人の作庭家の存在がありました。

 彼の名前は重森三玲。言わずと知れた近代を代表する作庭家の一人であり、彼の手掛けた庭は「永遠のモダン」と評価されています。巨石を存分に使用し、立石を多用し、市松紋や雷紋など様々な文様を砂やコンクリートで表現する彼の作庭手法は、賛否両論はあるにしても見る人の目を惹きつけることは確かです。

 初めて重森三玲の名を知ったのは、彼の代表作である東福寺でした。「八相の庭」と名付けられた方丈庭園は巨石の伏石の周りに数石の立石が据えられ、北斗七星の庭」と称される東庭は、柱石を星座の形に据え、一説では植栽で天の川を表現したともされています。中でも目を惹いたのは、北庭の苔の中に方形の石材を配して市松文様を創造した「市松の庭」です。

それまで何となく見てきた大名庭園を初めとする日本庭園とは明らかに違い、苔と切石と刈込というオーソドックスな材料でモダンなデザインを表現した斬新さは庭への興味を持つには十分でした。また良し悪しはあるにしても、分かりやすいほど意味づけられたネーミングが、それまで大して深く考えることがなかった庭が「意味あるもの」だと考える契機にもなりました。そこから、それまで偉人の軌跡を巡る旅から重森三玲氏の作庭を巡る旅に移行していきました。

重森氏が作庭した霊雲院「九山八海の庭」・「臥雲の庭」、芬陀院「雪舟の庭」、光明院「波心庭」、龍吟庵「龍吟庭」・「不離の庭」・「無の庭」、大徳寺塔頭の瑞峰院「独坐庭」・「閑眠庭」、正伝寺「獅子の児渡し」、重森三玲庭園美術館「無字庵庭園」、松尾大社「曲水の庭」・「上古の庭」、岸和田城「八陣の庭」、丹波篠山の住吉神社「住之江の庭」、如月庵「蓬春庭」、石像寺「四神相応の庭」など彼の作庭に留まらず、彼に強い衝撃と影響を与えたとする阿波国分寺まで公開されている庭はできる限り見に行くようになりました。(最近では奈良の春日大社の貴賓館の庭園「稲妻形鑓水の庭」・「注連縄の庭」が奈良県の文化財になりました。)

私自身は重森氏から深く日本庭園に入り、そこから七代目小川治兵衛、小堀遠州とつながり、茶人の庭、大名庭園、文人の庭、近代庭園とつながっていった感じです。

重森氏の庭園は従来の日本庭園に比べると視点場が限定的であり、芸術的というか彫刻的な印象を持つことも少なくありません。またベンガラで着色されたコンクリートの犬走など奇を衒ったような手法もあります。重森氏が造園界に残した最大の功績は、彼が室戸台風によって被害を受けた京都の庭園を目の当たりにして危機感を覚え全国の庭園を測量し、後に完成させた『日本庭園史体系』とされています。紛れもなく研究者にとっては欠かすことがない名著となりました。

東福寺塔頭 龍吟庵

重森氏が絶賛した徳島 阿波国分寺庭園

重森氏が絶賛した徳島 阿波国分寺庭園